土岐市文化プラザの線画 土岐市文化プラザの線画
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開館44年収集の軌跡Ⅲ「挑戦!重要文化財2,000点並べてみる」

休館を目前に控えた当館最後の展覧会として、土岐市が所蔵する重要文化財「元屋敷陶器窯跡出土品」2,041 点の展示公開を試みました。令和11年度に開館予定の新しい博物館では、この重要文化財の一群を展示・収蔵する部屋を設けて、その圧倒的なボリュームを来館者に体感してもらいたいと計画しています。本展は、その収蔵展示に向けた試みの一つでもあります。膨大な陶片から、当地のやきもの生産の歴史の断片と、その熱量が感じられるはずです。

会期:2024年1月7日~3月31日

2,000点を超える重要文化財の正体 かつての産業廃棄物は、今ではお宝に!

安土桃山時代から江戸時代初頭、茶の湯の流行を受けて当地で生産され、トレンド商品となった「美濃桃山陶(みのももやまとう)」。土岐市が所有する2,041 点もの重要文化財は、美濃桃山陶を中心とした一群で、すべて失敗品として廃棄された“ゴミ” だったものです。かつては無価値だったこれらが、400 年を経た現在では、美濃窯における茶陶生産のあり方を示す良好な資料として学術的価値が認められ、大切に保存されています。

  • 元屋敷陶器窯跡出土品

    16世紀後半~17世紀初頭
  • 元屋敷陶器窯跡出土品

    重要文化財2,431点の内訳
  • 元屋敷陶器窯跡関連年表

1.ゴミだったものが重要文化財になるまで

出土地 元屋敷陶器窯跡の成り立ち -生産地の様子-

重要文化財の陶片の出土地「元屋敷陶器窯跡(もとやしきとうきかまあと)」は、安土桃山時代から江戸時代(16 世紀後半~ 17世紀初頭)に操業しました。その始まりは、瀬戸の陶工 加藤景光が長男景延ら4人の息子を連れて美濃に移住し、開窯したと伝わります。大窯3基(元屋敷東1~3号窯)、連房式登窯1基(元屋敷窯)からなり、「元屋敷窯(もとやしきがま)」は景延が九州の唐津まで出向いて築窯方法を学び、美濃で初めて築いた連房式登窯と伝わります。

  • 国史跡 元屋敷陶器窯跡

    土岐市泉町久尻
    織部の里公園内
  • 大窯模式図・連房式登窯模式図

    大窯模式図:瀬戸市(1993)『瀬戸市史』陶磁史篇四p8に加筆修正
    連房式登窯模式図:土岐市美濃陶磁歴史館(1987)『美濃窯の1300年-須恵器から磁器の発生まで-』p92に加筆修正

度重なる窯の改築と生産品の移り変わり

元屋敷陶器窯跡では、16 世紀後半の操業開始から17 世紀初頭の登窯築窯までの間に、大窯が4度改築されています。特に、元屋敷東1号窯は、同じ場所で2度の改築が行われました。当初は、天目茶碗・小皿・擂鉢といった、当時の美濃窯では一般的な製品の生産から始まります。茶の湯の流行により国産茶陶の需要が高まると、黄瀬戸(きぜと)・瀬戸黒(せとぐろ)・志野(しの)・織部(おりべ)といった茶陶 美濃桃山陶の生産へと本格的に移行していきました。

  • 茶陶生産以前の生産品

    元屋敷陶器窯跡出土
  • 茶陶 美濃桃山陶

    元屋敷陶器窯跡出土
  • 美濃桃山陶の種類

生産された茶陶はどこへいくのか -消費地行きか物原行きか-

武士や商人の間で広まった茶の湯によって、需要の高まりとともに全国の窯場で生産された茶陶。美濃桃山陶を含む各地の産品は、大消費地京や堺など畿内の都市部へと集積しました。京都市では、三条通の瀬戸物問屋が立ち並んだとされる地点から、大量の桃山陶が出土し、当時の隆盛を伝えています。一方、焼成不良品などの売り物にならない製品は、窯の近くの物原(ものはら・ゴミ捨て場)へ廃棄されました。

  • 消費地出土の美濃桃山陶

    京都市
    中之町遺跡出土(京都市蔵)
  • 生産地出土の美濃桃山陶

    土岐市
    元屋敷陶器窯跡出土(土岐市蔵)
  • 茶碗だけじゃない茶の湯の器

    元屋敷窯では、茶碗、茶入、水指、天目台、蓋置、花入、向付、大鉢、徳利、小杯、水注、香炉、香合、灯明具、水滴といった様々な茶陶が生産されました。

流行の終焉と忘れ去られた生産地 -美濃桃山陶は瀬戸産?-

美濃桃山陶の生産終了後、茶人たちの手に残った優品は後世に伝えられたものの、その産地は瀬戸であると伝えられてきました。そんな中、昭和5年(1930)、荒川豊蔵(あらかわ とよぞう)が可児の古窯跡で志野の陶片を発見したことで、美濃桃山陶が瀬戸産ではなく、美濃産であることが明らかとなります。陶磁史を揺るがす大発見は、美濃古陶への世間の関心を高め、古窯発掘ブーム、そして古窯の乱掘・盗掘へと発展していきました。

地元の有志による文化財保護の動き -昭和の発掘-

昭和10 年(1935)、元屋敷窯開窯の祖 加藤景光・景延親子を陶祖として顕彰する「美濃陶祖奉賛会(みのとうそほうさんかい)」が地元製陶業者らによって発足しました。彼らは、陶祖の窯を盗掘から守るため、同24 年に発掘を行い、古陶器450 点と陶片類約2万点を地元に残しました。昭和42 年に元屋敷窯跡が国史跡に指定されると、「美濃陶祖古陶器保存会(みのとうそことうきほぞんかい)」と改称、44 年には古陶器収蔵庫を建設。46 年には、これらの出土品が県の重要文化財となりました。

  • 美濃陶祖古陶器保存会による古陶器収蔵庫建設

    昭和44年(1969)
    元屋敷東1号窯跡の北側に建設されていた古陶器収蔵庫。美濃陶祖古陶器保存会の解散と史跡整備に伴い、この建物は現存しない。
    広報とき488号より転載
  • 美濃陶祖奉賛会による発掘品

その他の動き

元屋敷窯跡では、美濃陶祖奉賛会による発掘の他にも、地域の文化財保護を目的とした発掘が行われています。昭和6年(1931)に多治見工業学校(現岐阜県立多治見工業高等学校)教諭 高木康一(たかぎ やすかず)が、同8年(1933)には、県史跡名勝天然記念物調査員 小川栄一(おがわ えいいち)が発掘を行い、出土品とともに当時の状況を記録しています。

明らかとなった元屋敷陶器窯跡の全貌 -平成の発掘によって-

美濃陶祖奉賛会による発掘から遅れること44 年、行政(土岐市教育委員会)による発掘調査が行われたのは、平成5年(1993)のことでした。以降、同13 年(2001)まで6次にわたる発掘が行われました。これにより、竹林に覆われ不明瞭だった大窯3基(元屋敷東1~3号窯)の存在や改築の事実等が確認されます。出土した遺物の総合計は2,448 箱に上り、隆盛を極めた元屋敷陶器窯跡の全貌が明らかとなりました。

  • 平成の行政発掘による出土品

  • 各窯の操業時期と主な製品

  • 登窯(左)と竹林に覆われた大窯(中央)と古陶器収蔵庫(右)

    平成7年(1995)頃

大量の出土品を整理する -市による一括保管と重要文化財指定-

平成5年(1993)、美濃陶祖古陶器保存会が解散し、元屋敷窯の土地と所有する出土品全てが市に寄贈され、行政による発掘調査の契機となりました。土岐市では、市で発掘した2,448 箱分の出土品とともに、寄贈分の整理作業を実施。同14・15 年に報告書を発行し、広く公表されました。平成25 年(2013)には、学術的価値が認められ、市所有の2,041 点が「元屋敷陶器窯跡出土品」として国の重要文化財となりました。

  • 整理作業の流れ

  • 整理作業の流れ

    注記・接合・実測・トレース

重要文化財のもう一つの側面 -多治見工業学校が発掘した390点-

平成25 年(2013)に重要文化財に指定された元屋敷窯関連資料は、市所有の2,041 点の他に390 点あります。これは、多治見工業学校の高木康一教諭が発掘したもので、岐阜県立多治見工業高校に残されました。高木教諭は、元屋敷窯の他にも多数の古窯調査を行っており、土岐市内で発掘した資料が平成15 年(2003)に市に寄託され、内390 点が「元屋敷陶器窯跡出土陶器」として国の重要文化財となりました。

安全な保管 -そして、広く活用していくために-

重要文化財に指定された資料は、個別に所在が確認できるよう所定の位置が決められ収蔵されています。収蔵庫自体の防犯・防災対策や温湿度の管理も必要です。そして、保存とともに重要なのが、広く活用していくことです。現在、データベースの閲覧や研究利用、自館や他館での展示等が主な活用方法ですが、創作や製品開発のヒントとして等、「学び」にとどまらない活用も期待できます。

  • 安全な保管と活用

  • 重要文化財の収蔵状況

2.美濃桃山陶で遊んでみた

いろんな視点で分けて、見る

重要文化財の大半を占める美濃桃山陶。その特徴は、それまでの茶の湯の価値観を打ち破る多彩なデザインです。色、形、文様、どれをとってもバリエーション豊富で、使う人を楽しませる器であるといえます。当時の流行をふんだんに取り込みながら個性を放つ器の表情は、小さなカケラからでも垣間見ることができます。時代を映した一つひとつの陶片を、じっくりと観察してみてください。

色で見る美濃桃山陶 -唯一無二の黄色-

黄瀬戸の黄色は、灰釉に含まれる鉄分を意図的に黄色く発色させることで得られる色です。このやわらかな黄色を地とし、緑(胆礬・たんぱん)や茶(鉄彩・てっさい)を散らした装飾は、中国の華南三彩(かなんさんさい)に影響を受けたとされています。瀬戸黒の黒や志野の白は織部に引き継がれたのに対し、なぜか黄瀬戸の黄色が引き継がれることはありませんでした。

  • 黄瀬戸

色で見る美濃桃山陶 -数量限定生産の漆黒の器-

瀬戸黒から始まる美濃桃山陶の黒は、織部黒や黒織部へと続きます。同時に、窯の形態が大窯から登窯へと移行しますが、発色の技術は同じで、鉄釉を施し、焼成中の窯から引き出し急冷させることで漆黒色となります。引き出すための色見穴に近い位置にしか製品を置くことができないため、必然的に数量限定生産となります。

  • 瀬戸黒

  • 織部黒

  • 黒織部

色で見る美濃桃山陶 -日本初の白いやきもの-

長石釉(ちょうせきゆう)の発見によって生まれた白い器「志野」。新しい釉薬の発見とともに注目すべきは、美濃特有の素地の色です。鉄分の含有量が少ない素地は、白い釉薬をより白く見せることができました。中国産の白磁(はくじ)に憧れ、国内の磁器生産に先駆けて実現した日本初の白いやきものは、温かみのある日本独自の白でした。

  • 灰志野

    志野に先行して生産された灰志野は、新旧の釉薬原料である灰と長石の両方を混ぜた釉薬を施しています。青みがかった灰色は、志野に至る試行錯誤の色といえます。
  • 志野

  • 鼠志野

    鼠志野は、白地に黒の絵が描かれた志野の配色を反転させた器です。鉄分を多く含んだ鬼板を全面にかけ、文様を搔き落として長石釉をかけます。手間がかかる技術でも、使う人を楽しませるために趣向を凝らす陶工の姿が浮かび上がります。

色で見る美濃桃山陶 -志野と志野織部-

両者は、使われた素地や釉薬がほとんど同じです。大窯で焼成したものを志野、連房式登窯で焼成したものを志野織部と呼んでいます。大窯では、長石釉が白濁し、文様が不鮮明なものが多いのが特徴です。一方、連房式登窯では高温を保つことができ、釉がよく溶けて透明度が高く、下絵の文様がくっきりと際立ちます。

  • 志野織部

色で見る美濃桃山陶 -織部は緑だけじゃない-

高温を保つ登窯により量産された銅緑釉の器。織部を印象付けるのは、この緑色です。他にも、鉄分を加えた褐色の土を用いたものや、2つの釉薬や土によって、半身ずつ異なる意匠とし、当時の流行「片身替り」を取り入れたもの等があります。釉薬や粘土の改良・開発、組み合わせが、他産地にはない豊かな色彩を生みました。

  • 青織部

  • 総織部

  • 鳴海織部

    白土と赤土を繋ぎ合わせた鳴海織部では、土の境目で割れたものが見つかっています。収縮率の異なる2種の土を用いることで失敗作が生まれやすくとも、豊かな色彩を求めた陶工の苦労がうかがえます。
  • 赤織部

  • 織部茶入

  • 美濃唐津

    美濃唐津や美濃伊賀は、唐津や伊賀産の茶陶を美濃で模したものです。特に美濃唐津の褐色は、鉄分を多く含んだ土を使用し、唐津の土に近づけています。一方、唐津でも褐色の土に長石系の釉を掛け、鉄絵を施し、美濃の製品に似せたものが作られました。
  • 美濃伊賀

形で見る美濃桃山陶 -自由になった器の形-

茶碗の造形は、瀬戸黒の筒形から志野にかけて徐々に歪みを帯び、織部で大胆な沓形へと変化します。一方、向付等の食器類も、型による成形技術を多用することで、円形から四角形、そして多角形や具象的な形へと大きく変化していきました。これらは、従来の茶の湯の価値観を打ち破った、新しい時代の形といえます。

  • 茶碗の造形

    大胆な造形の変化は、茶の湯の価値観の変化と深く結びついています。完成された美を持つ唐物第一主義から解き放たれ、歪みが許容された時代の器は、楽し気なものであふれています。
  • 食器の造形

  • 揃いの器や南蛮文化

文様で見る美濃桃山陶 -新しい釉薬がもたらしたもの-

文様表現の大きな画期は、長石釉の登場にあります。灰釉では不可能だった下絵付けが実現したことで、筆による自由な表現が可能となりました。刻線文や印花等、素地の凹凸で示す黄瀬戸の繊細な表現は、総織部に引き継がれた一方、筆による線の強弱や複数のモチーフを組み合わせた、志野や織部の賑やかな表現が発展します。

  • 素地の凹凸で表現した文様

    黄瀬戸・総織部
  • 筆で描いた文様

    灰志野・志野・織部
  • 茶碗に描かれた文様

    茶の湯の茶碗は、無文であることが常でしたが、桃山時代には、文様が描かれるようになります。描かれたのは、なんだかよくわからない文様が多く、使う人の想像を掻き立てるようなものでした。
  • さまざまな文様①

  • さまざまな文様②

    向付等の食器類に描かれた文様は、じつに多彩です。梅や松等の植物や、千鳥や鷺等の鳥類がよく描かれるモチーフです。複数のモチーフを一つの器に詰め込んだ賑やかさが、織部の楽しさの一つといえます。
  • さまざまな文様③

    たくさんの器が並んでいると、同じモチーフを描いたものでも、そのフォルムが異なることに気が付きます。調子が悪かったのか、技量の問題か…手描きだからこそ、時を超えてなお、ある意味で絵付け職人の存在を感じさせるものもあります。
  • 釉を引っ掻いたり埋め込んだりした文様

    鼠志野や織部では、釉薬を搔き落として文様を描き、搔き落とした部分に別の釉薬を埋め込む象嵌(ぞうがん)技法を用いて、色彩のコントラストが強調されています。

新博物館に向けたプレ展示

新しい博物館では、元屋敷陶器窯跡の重要文化財すべてを収蔵しながら展示する「重文展示室」を館の目玉として整備する計画を進めています。膨大な陶片をどのように魅せるか、その手法は模索中ですが、透明なケースに展示してみたら、どう見えるのかを試行してみました。

  • 新博物館に向けたプレ展示

    北から
  • 新博物館に向けたプレ展示

    東から
  • 新博物館に向けたプレ展示

    南から
  • 新博物館に向けたプレ展示

    西から

桃山デザインを現代に活かす -京都市立芸術大学学生による桃山デザイン-

京都市立芸術大学では、桃山陶を考古学的視点で楽しく学び、そこから着想を得た作品を制作する「考古楽 桃山デザイン」という授業が行われています。陶磁以外に漆器、テキスタイル、LINEスタンプなど、桃山陶を起点に多方向に広がる発想の数々は、桃山デザインの尽きることのない可能性を感じさせます。デザインと考古学を掛け合わせ、桃山時代と現代をつなぐ取り組みは、美濃でも新たな風を生むことができるのではないでしょうか。

  • momo椀’s

    堀口史帆
    2021年 漆/漆器

    デザインが簡略化された桃山陶の文様に着目。桃山陶からモチーフを抽出し、漆椀に漆で加飾しています。
    複数の椀で構成することにより、桃山文様の新しい魅力を見つけ出す楽しみや、会話が生まれるきっかけとしたいという意図が込められています。
  • オリベシッキ

    北浦雄大
    2021年 漆/樹脂

    形は樹脂素材を3Dプリンターで出力し、表面を漆で塗装した作品。陶器とは異なる質感の「オリベシッキ」をつくって自分の生活の中に取り込むことを試みたといいます。
    器形は京都三条せと物や町跡から出土した織部向付そのものですが、その手取りの軽さには意表を付かれます。
  • 桃山おざぶとん

    山口汐璃乃
    2021年 綿/撚糸/反応性染料

    桃山陶のための「お座布団」に見立てた小帛紗。実物の桃山陶の器形や図文をモチーフに、一点一点の器のための誂えとして制作されたものです。
    簡略化して表現された器形や図文により、桃山陶の豊かなデザイン性が際立ってきます。
  • 触って楽しむ桃山デザイン

    倉澤佑佳
    2022年 MDF

    桃山陶の造形や文様を「触って楽しむ」ことを目的とした作品。福井県陶芸館の学芸員でもある作家は、福井県立盲学校の協力を得ながら改良を重ね、凸を指で触る形式にたどり着きました。ユニバーサル・ミュージアム(誰もが楽しめる博物館)につながる桃山デザインの新たな可能性を示す作品です。
  • ユメミル 触感

    四方理南
    2022年 羊毛

    厚みがあり柔らかい桃山陶の形を心地よいと感じ、それらを表現するため、縮める加工をすることで密度が増し分厚くなる羊毛を素材として制作。タイトル「ユメミル」は、当時の陶工たちも「よりカラフルな色が使えていたら夢見心地な色を使おうと思う人もいるよね。たぶん。」として、付けています。
  • 抹茶パッケージ

    古草舞也子
    2020年 紙/チャック付き袋

    抹茶を飲みながら桃山文化に想いを馳せてほしいと、新しい抹茶のブランディングをし、パッケージとポスターを制作。伝世する著名な桃山陶三碗を取り上げ、それぞれの茶碗の雰囲気に合った味の抹茶を想定しています。
  • ももやまあにまる

    大西由羽
    2021年 フェルト/発砲スチロール/粘土

    桃山陶の文様によくみられる「鷺」をモチーフとした作品。
    桃山陶のゆるさと土や釉薬の色を表すため、柔らかく優しい色合いのフェルトを使用し、鷺のからだの渦巻きは、器の轆轤目に着想を得ています。
  • 織部焼デザイン

    林田恵美
    2020年

    日本美術の有名な作品をイメージして織部焼のデザインをしました。緑色と白色で構成してあるものは青織部、赤色を使っているものは鳴海織部です。
    もとにした作品の構図の大胆さを取り入れ、釉薬を重ねて色を深めることで奥行きが出るデザインにしています。〈文:作家本人〉
  • 桃山模様グッズのデザイン案

    吉田真希
    2020年

    スマホケースやマスクなど、今よく使われているものに桃山時代の陶器に描かれた文様をモチーフにしてデザインしました。
    可愛さがありながらも、誰でも使えるように派手さを抑えワンポイントに文様を入れました。〈文:作家本人〉
  • 美術館併設カフェ

    増川知乃
    2020年

    桃山陶器にたびたび登場する、ゆるくかわいい図柄をモチーフとした、美術館併設カフェ「momo」です。各種ドリンクはもちろん、m o m oでしか買えない限定オリジナルグッズも販売しています。現代的なモチーフで再構成された、オリジナル家紋のラテアートが楽しめる、カフェラテがおすすめです。
    あわただしい日常から少しはなれ、ゆったりとした時間を過ごせる空間を提供します。〈文:作家本人〉
  • LINEスタンプ 桃山陶器妄想

    梁 卓瑩
    2020年

    桃山陶の文様を抽出してイラスト化し、LINEスタンプを制作したもの。
    「いい天気~ 」「眠い」など、友人どうしでのLINEのやり取りでよく使われそうな言葉と、桃山陶のゆるいモチーフをうまく組み合わせ、独特の雰囲気を醸し出しています。
    ちなみに、「JUMP‼」のスタンプに用いられる文様は、とりわけ学生たちの心に響いたモチーフで、他の多くの作品にも取り入れられています。ウサギだけれど、細く折れ曲がった足が虫のように見えることから、学生たちに「ムシウサギ」と名付けられました。
  • イタリアちゃん

    中村日奈子
    2020年

    ここに描かれた「鳴海織部向付」は、作家が織部焼の大胆で優しい色遣いと形、包み込むような魅力に初めて引き込まれたきっかけとなった作品だといいます。
    鳴海織部の緑、白、赤の配色を、イタリアの三色旗になぞらえ「イタリアちゃん」と命名しました。
    桃山時代、突如現れた色彩豊かな織部焼は、茶の湯を明るく楽しい場へと変化させたことでしょう。織部の特徴を感覚的に捉え、現代的な言葉に置き換えた作家のセンスが光ります。
  • 京ばあむ

    大西由羽
    2020年

    「青織部扇形蓋物」は、器を扇形に造り出した織部焼ならではの力強い作品です。
    作家がイラストで表現した「京ばあむ」は、この扇形を抹茶味のバウムクーヘンになぞらえたものでしょうか。
    「京ばあむは、どっちだ?」としていますが、抹茶味のバウムクーヘンがそのまま織部蓋物の中にすっぽりと入ってしまいそうです。
  • 沓形茶碗デザインの靴

    柴田若奈
    2021年

    桃山時代の沓形茶碗のデザインを、現代の靴に転用しました。「沓」とは西洋文化が入ってくる以前の日本の履物のことで、沓形茶碗はまさにその履物のような形をした茶碗です。このデザインを靴の意匠に変換してみることで、改めて桃山時代の造形が大胆で新鮮であると感じました。
    靴の素材や手触りは、元になった茶碗の質感を想定しています。(光沢の強い茶碗なら光沢のある靴、模様に凹凸のある茶碗ならエンボスのついた靴、など)また靴底の色は、茶碗の高台が元になっています。〈文:作家本人〉
  • 現代の桃山デザイン×桃山の織部

    大西由羽/倉澤佑佳/堀口史帆/山口汐璃乃/梁 卓瑩
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    元屋敷窯 重要文化財

3.平成の発掘調査で明らかになったこと

新たな試みに挑む元屋敷の陶工たち -窯を作り変えながら美濃桃山陶の生産へ-

操業当初(16世紀後半)は、元屋敷の陶工集団は東濃地域の他窯と同じく大窯期従来の製品を生産していましたが、16世紀末以降になると数年という短い期間で築窯と改築を繰り返し、それに合わせて黄瀬戸・瀬戸黒・志野などの流行の茶陶製品である「美濃桃山陶」を作り出します。その後、17世紀初頭に当時の最新式の窯「連房式登窯」を他窯に先駆けて導入し、より一層茶陶生産に特化し、多種多彩な織部を世に送り出しました。

  • 操業年表

  • 元屋敷陶器窯跡遺構配置図

なぜ流行の商品を生み出すことができた? -美濃桃山陶が誕生する背景-

短い期間で製品の種類が移り変わることから、元屋敷の窯主(経営者)は、京都などの商人を介して顧客のニーズを取り入れる、今で言う「マーケティング戦略」に長けており、またそれを実現できる技術を持った優秀な職人を多数抱えていたと考えられます。当時も現在と同じで、経営者がいかに他の窯と差別化を図り、自社のブランド力を高めるかを考えていたことがうかがえます。

流行の仕掛け人「やきもの問屋の商人」 -大消費地「京」にみる美濃桃山陶-

当時、京都の三条通りには「せと物や町」と呼ばれる、複数のやきもの問屋が軒を連ねる町筋がありました。この地区を発掘調査した結果、問屋毎で扱うやきものの産地や器種が異なっていたことが分かりました。その中でも元屋敷の製品は、「中之町」の商人が主に取り扱い、1回で焼成した製品を全て買い取る「窯買い」をして、店の裏庭で製品の選別を行っていたことが明らかとなりました。

  • 京都三条通り「せと物や町」で出土したやきもの

元屋敷東1号A窯の製品

従来から大窯で生産されていた天目茶碗、皿類、擂鉢を主体とし、この3器種で生産量の約90%を占めています。その中で、半筒形を呈する茶碗や向付といった新たな器形が少量生産されるようになりますが、この背景には、「茶の湯」文化の浸透によって生まれた新たな価値観がやきものにも影響を与えたためと考えられます。

  • 元屋敷東1号A~C窯

    窯体写真
  • 東1号A窯出土品

  • 鉄釉天目茶碗

    東1号A窯
  • 灰釉丸皿

    東1号A窯
  • 錆釉擂鉢

    東1号A窯
  • 鉄釉向付

    東1号A窯

ここが見どころ!天目茶碗 -唐物へのあこがれ-

美濃窯では、15世紀中頃から中国産を本歌(ほんか)に天目茶碗の模倣が始まります。形状や釉薬はもちろんのこと、高台脇の露胎(ろたい)部分にも工夫を凝らしています。中国産は胎土に鉄分が含まれており露胎部分が黒く発色することから、美濃窯では錆を塗って本歌に近づけています。

  • 鉄釉天目茶碗

    東1号A窯

ここが見どころ!半筒碗 -高麗茶碗の影響?-

腰に丸みがあり胴部が真っ直ぐ立ち上がる形状や全面施釉を意識した施釉法は、高麗茶碗に系譜が求められます。高麗茶碗の記録は16世紀前半の茶会記に見られるようになり、16世紀中頃から多くなるため、その動きに合わせ美濃窯でも作られるようになったと考えられます。

  • 鉄釉半筒碗

    東1号A窯

元屋敷東2号窯の製品

16世紀末に入ると、生産量は少ないながらも、後に美濃桃山陶と呼ばれる黄瀬戸・瀬戸黒・灰志野といった新しい流行の製品が生産されます。新たに作られるようになる器種も登場し、従来からある器種にも新しいスタイルが見られるようになります。また、成形技法にロクロ成形後型打ちして器形を整える手法が始まります。

  • 元屋敷東2号窯

    窯体写真
  • 東2号窯出土品

  • 黄瀬戸大鉢

    東2号窯
  • 瀬戸黒茶碗

    東2号窯
  • 灰志野向付

    東2号窯

ここが見どころ!内禿皿 -灰釉丸皿の廉価版-

灰釉の丸皿は中国産の白磁や染付皿を模倣しており、全面に釉薬が施されています。全面に施釉された皿は、溶着する可能性が高く製品同士を重ねて焼くことができないため、美濃窯の陶工は内面の釉薬を環状に拭った「内禿皿(うちはげざら)」を開発して量産化を図りました。

  • 灰釉内禿皿

    東2号窯

ここが見どころ!象嵌技法 -海外の技法も導入-

灰釉の代わりに鉄釉を掛けた後に、刻線で文様を施し、その上に長石系の釉を盛ることを「象嵌技法(ぞうがん)」と呼びます。象嵌技法が用いられた製品では、韓国の高麗青磁や高麗茶碗が有名です。焼成している窯や出土量が少ないため、生産期間が短かったと考えられています。

  • 鉄釉向付

    東2号窯

ここが見どころ!黄瀬戸 -青銅器の模倣-

口が大きく開き、胴部の中程が細くなった形の花入は、鼓の胴の形に似ていることから「立鼓形(りゅうご)」と呼ばれています。中国の胡銅(青銅製)の花入を模していると考えられ、胆礬(たんぱん)や鉄彩などの加飾技法は使われておらず、胡銅の端正な佇まいをロクロで表現しています。

  • 古銅象耳花入

    参考写真
    出典:ColBase

ここが見どころ!瀬戸黒 -楽茶碗の廉価版?-

瀬戸黒と同じ漆黒色の茶碗と言えば「楽茶碗」が挙げられます。手づくねで内窯と呼ばれる小規模な窯で1個づつ焼成しているため、大量に作ることは出来ません。どちらが先に作られたかは判断が難しいところですが、楽茶碗が人気が出たことから、商人が美濃で量産しようとしたのかも知れません。

  • 黒楽茶碗

    参考写真
    出典:ColBase

元屋敷東1号B窯の製品

この窯に伴う明確な層は確認されておらず、物原上層の遺物の内1号A窯とC窯の遺物を除いたものをB窯の製品と想定しています。この時期には新たに志野(鼠志野を含む)の焼成が始まりますが、2号窯同様、茶陶製品の生産量はまだ少量で、志野は簡素な植物の文様が描かれた皿類を中心に鉢や向付が作られています。

  • 東1号B窯出土品

  • 志野向付

    東1号B窯
  • 鼠志野鉢

    東1号B窯

ここが見どころ!志野 -白いやきものの変遷-

志野は当初、中国の白磁を意識し、文様のない無地の皿類を焼成していました。しかし、次第に中国の染付を意識した、文様を描いた製品を作るようになります。文様の描き方も簡素なものから多彩で自由闊達ものへ変化していきました。

  • 志野端反皿

    東1号B窯
  • 志野丸皿

    東1号B窯

元屋敷東3号窯の製品

黄瀬戸・瀬戸黒が姿を消し、志野の鉢や向付などの茶陶製品が全体の約50%以上を占めるようになります。志野には草花、樹木、山水などの具象的な文様が施され、ロクロ成形の後体部を手で押えたり、型打ちしたものが量産されます。また、織部黒や美濃唐津、織部茶入、矢筈口水指といった新たな器種や種類が登場します。

  • 元屋敷東3号窯

    窯体写真
  • 東3号窯出土品

  • 志野向付

  • 志野向付

  • 織部黒茶碗

    東3号窯
  • 織部茶入

    東3号窯
  • 志野水指

    矢筈口
    東3号窯

元屋敷東1号C窯の製品

この時期も志野の生産が主体ですが、平面形が扇面形など具象的なものや、歪みのある沓形碗が現れます。また、向付の口縁部などに檜垣や列点などパターン化した文様が密に施されるものや、鼠志野の生産量が増加し、後の青織部に繋がる掛け分けによる施釉技法の大鉢が生産されるようになります。

  • 東1号C窯出土品

  • 志野向付

    扇面形
    東1号C窯
  • 織部黒茶碗

    東1号C窯
  • 志野大鉢

    列点等のパターン化した文様
    東1号C窯
  • 鼠志野大鉢

    掛け分け
    東1号C窯

元屋敷窯の製品

他の窯が大窯で志野を中心に生産していた頃、元屋敷ではいち早く登窯を導入し、織部を量産します。様々な器種を生産する中で、特に沓形碗や鉢、向付などの茶陶製品を主体に焼成しています。その他、新たな施釉及び成形技法が取り入れられ、前代と比べより一層色彩が豊富で造形豊かな製品が作られるようになります。

  • 元屋敷窯

    窯体写真
  • 元屋敷窯出土品

    向付
  • 元屋敷窯出土品

    織部黒・黒織部
  • 黒織部茶碗

    元屋敷窯
  • 青織部向付

    元屋敷窯
  • 鳴海織部向付

    元屋敷窯
  • 赤織部向付

    元屋敷窯

ここが見どころ!窯道具-溶着資料から分かること-

製品同士がくっついた溶着資料から、製品を重ねる組み合わせや、製品の間に使う窯道具に様々な種類があったことが分かります。しかし、注意深くみていくと、窯道具の使い方に一定の規則性が認められるため、当時の陶工がルールをもって製品を焼いていたことが伺えます。

  • 溶着資料

    志野向付2枚と志野丸皿1枚が溶着

ここが見どころ!織部黒 -陶工の引き出し忘れ?-

窯の焼成中に引き出して急冷させることで漆黒色を出すのが織部黒や黒織部ですが、窯内にそのまま置いておくと天目茶碗と同じ茶褐色になります。出土品の中に含まれる茶褐色の陶片は、恐らく陶工が引き出し忘れたのか、引き出す途中で窯内に落としたものだと考えられます。

  • 黒織部茶碗

    引き出し忘れ
    元屋敷窯

ここが見どころ!向付 -腰部分に注目!-

向付の成形方法には、①ロクロ、②ロクロ型打ち、③タタラ型打ちの3つがあります。①は円形が基本のため見分けやすいですが、②・③は形が変形しているため判断が難しいです。②は円形の器を型打ちするため腰部が丸くなり、③は粘土板を使うため腰部が直角になるのが特徴です。

  • 志野織部向付

    ロクロ
    元屋敷窯
  • 志野織部向付

    ロクロ型打ち
    元屋敷窯
  • 青織部向付

    タタラ型打ち
    元屋敷窯

ここが見どころ!アレンジ -美濃唐津・美濃伊賀-

佐賀県の唐津焼風にアレンジした「美濃唐津」、三重県の伊賀焼風にアレンジした「美濃伊賀」は、雰囲気や見た目が本歌と非常に良く似ています。もしかしたら、三条通りのやきもの問屋の店先では、「唐津焼」、「伊賀焼」として売られていたのかも知れません。

  • 美濃唐津向付

    元屋敷窯
  • 美濃伊賀水指

    元屋敷窯

これも重要文化財?生産を支えた窯道具 -効率の良い生産を考え続ける-

窯道具は、製品を窯で『焼く』ときに使う道具です。製品を安定させて窯内に入れるために使うものや、製品を重ねるために使うものなど、場所や使い方、時代により大きさや形に違いがあります。一つでも多くの製品を「商品」にするため、いかに失敗を少なく、かつ限られた窯のスペースに沢山の製品を詰めるかを試行錯誤した結果、様々な窯道具が誕生しました。

  • 元屋敷陶器窯跡で使われた窯道具

  • 窯詰めの様子

    織部の里公園
  • 窯道具

  • エブタ

    円形
    東1号窯
  • エブタ

    方形
    元屋敷窯
  • 茶碗を蓋に転用
    元屋敷窯
  • 焼台

    東1号窯
  • ニギリ

    東2号窯
  • 色見

    向付を転用
    元屋敷窯
  • 挟み皿

    東2号窯

ここが見どころ!様々な匣鉢 -器種・器形に合わせて-

中に入れる製品の大きさや個数、器種によりサイズや形状にバラエティがあります。底部に穴が開けられたものには徳利を、底部が丸底のものには天目茶碗を、平面が楕円形のものには水注を入れています。当時の陶工がいかに効率の良い窯詰めを行い、多くの製品を焼成しようとしていたかが伺えます。

  • 匣鉢

    小皿用
    東2号窯
  • 匣鉢

    天目茶碗用
    東3号窯
  • 匣鉢

    水注用
    東3号窯
  • 匣鉢

    大鉢用
    東3号窯
  • 匣鉢

    徳利用
    元屋敷窯

ここが見どころ!様々なトチン類 -失敗品を少なくする-

製品同士や製品と匣鉢がくっつかないよう、間に挟んで使うトチンやピン類は、製品の種類や大きさにより、サイズや形状にバラエティがあります。その中でも、三又トチンや足の長い足付板トチンは、多種多彩な織部製品を生産していた元屋敷窯にしか見られない専用の窯道具です。

  • 輪トチン

    東2号窯
  • 輪トチン

    東3号窯
  • 輪トチン

    東1号窯
  • 円錐ピン

    東3号窯
  • 円錐ピン

    元屋敷窯
  • 長脚ピン

    東2号窯
  • 足付板トチン

    足が長い
    元屋敷窯
  • 足付板トチン

    足が短い
    元屋敷窯
  • 三又トチン

    元屋敷窯
  • 不定形なトチン

    東1号窯
  • 不定形なトチン

    元屋敷窯

元屋敷窯の廃窯と陶工のその後 -経験を積んで安定した生産へ-

元屋敷での全操業期間は僅か35年程で、その期間中に何度も築窯と改築が行われました。その理由は様々ありますが、窯の耐用年数の低さや、周辺の水が入り込みやすい地形にあると考えられます。それに対して、同じ陶工集団が元屋敷窯の廃窯後に築いた窯ヶ根窯は、数度の改築をしつつ同じ窯を70年ほど使い続け、織部製品や新しいスタイルの「御深井釉製品」を生産し、元屋敷の跡地は検品などを行う場として使われました。

【凡例】

このページは、土岐市美濃陶磁歴史館企画展「挑戦!重要文化財2,000点並べてみる」のバーチャル展覧会です。

会期:2024年1月7日(日)~3月31日(日)

 

・解説文の執筆は当館学芸員が行いました。

・現代作品以外の展示品は全て当館の所蔵品です。

・掲載資料は必ずしも展示の順序と一致しません。

・掲載写真の無断転載を禁じます。


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